早々と「脇役」に転進 (2006 - 2007年)
しかし、入社して二ヶ月もたたぬうちに、私はこの「悲壮な覚悟」をあっさりと取り下げてしまった。
と言うのも、ボーダフォン買収からまだ四ヶ月しかたっていなかったのに、既に社内の体制は相当固まっており、全てがソフトバンク流に(つまり、社長の陣頭指揮下で)進められていることが分ったからだ。「技術よりもマーケティングと販売を先行させる」社風も、良い悪いは別として、過去の実績に裏づけられた揺るぎないものであり、これに異を唱えるのが妥当かどうかも判断がつきかねた。(というよりも、「この時期にはその方が正しいだろう」という判断に、自分自身も傾いていった。)
誰が考えたのか、「割賦販売方式」という新しいアイデアも導入済みだった。この方式なら、既存顧客からの収入が少なくても、毎月の利益を犠牲にすることなく、顧客に安い端末価格を提供できる。「目からウロコが落ちた」というか、「コロンブスの卵」を目の当たりにしたような感じだったが、これで私の最大の懸念は解消された。現実に、当初の若干の試行錯誤の後で導入された「ホワイトプラン」と名づけられた価格体系は、巧みなTV宣伝と相俟って、瞬く間に顧客の支持を得た。
営業部門の「集中力」と「巧みさ」は想像をはるかに超えるものだったし、技術部門も想像以上に厳しくやっていた。何よりも感銘を受けたのは、徹底的に顧客の反応を意識したスピード重視の「対応力」だった。毎週の経営会議では、何事も中途半端には終わらせず、即戦即決で必要な手が打たれている。実力者の宮内謙副社長(COO)が、孫さんが苦手とする分野をきちんと補っているのも大きいと思った。
私の担当分野であるはずだった「技術戦略」という観点からは、「本来やるべきことがやれていない」という不満があり、苛立ちも感じたが、会社が当面ちゃんとやっていける限りは、これは「どうしても直ぐにやらねばならない」というものでもないかもしれないと考えるに至った。無理にやろうとすれば、あちこちで摩擦が起こり、プラスよりマイナスが生じる可能性もある。下手をして指揮系統が二重三重になれば、良かれと思ったことでも、現場に大きな負担と混乱を与えかねない。
結局、色々考えた結果、私は「無理に仕事はやらない」という道を選んだ。これは、当初の「悲壮感」とは正反対の極にある選択だった。
内心忸怩たるものがなかったと言えば嘘になるが、それが大人の判断だと思った。「本気で仕事をする」と言えば男らしく聞えるが、それは自分中心でものを考えた時のことで、「天の時」「地の利」「人の和」がなければ、「空回り」だけで済まず、全体としては実質的にマイナスが生じる恐れがある。流石に45年近くもビジネスの最前線に身をおき、いろいろなことを経験してきたお陰で、私にはそういうことはよく読めるようになっていた。
そこで、私は孫さんと話し、ソフトバンクの中での仕事についてはラインの責任は全て外してもらい、元々彼が求めていた「社長へのアドバイス」という仕事だけに徹することにさせてもらった。言い換えれば、「必要に応じて脇を固める」という程度の、極めて受動的な役割のみに甘んじることにしたのだ。
私はそれまでの数十年間、どんな立場におかれても、終始積極的に目一杯に行動してきたし、「結果に対して全責任を負う」という意識を持たずに仕事をしたことはなかった。だから、こんな事は生涯を通じての初体験だった。実際にそういう立場で仕事をしてみて、「こんなことをしていて本当に良いのか」と、相当複雑な心境になったこともある。しかし、そのうちに、「実は、これは、長年真面目に仕事をしてきた私に対して、天の神様が与えてくれた特別の『ご褒美』だったのだ」と思うようになった。
この様な気楽な(責任のない)立場での仕事は、或る程度の歳になれば、誰もが求めるものだ。しかし、私のような性格だと、現実にはなかなかそうは行かない。孫さんのような「誰よりも早く、何でも自分でやる。それも徹底的にやる」という人の下でなければ、とてもこんな役割には甘んじていられなかったはずだ。
現実に、経営会議などでは、「もし誰も言わないのなら、自分が言わなければ」と思う事はよくあるが、こういう場合も、殆ど孫さんが先回りしてその事を言ってしまっている。殆どの事において、私と孫さんとは発想が驚くほど似ているとは思っているが、彼の方がパワーが格段に大きく、決断力や集中力(執念)も桁違いだ。思考や行動のスピードについてもそうだ。私も、それまでは、自分では「頭の回転も行動も相当早い方だ」と思っていたが、孫さんには遠く及ばない事を認めざるを得なかった。
彼の言う事には、私が「無理筋」と思うことも多々ある。しかし、「可能性が極端に低く。出来なかった時のマイナスがあまりに大きい」というもの以外は、私は特に反対しない事にしてきた。彼は、どんなに小さい可能性でも「徹底的に追求する前に諦める」のを大変嫌う。あらゆる可能性を洩れなく追求しようとするし、目標値は最後の最後まで常に目一杯高く保ち続ける。「放っておけば人は安易に流れ、低い目標で満足してしまう傾向がある」事をよく知っているからだろう。
こういうやり方については、「僅かな可能性も逃さない」という利点はあっても、仕事の効率は相当悪くなるから、私は必ずしも賛成ではなかった。しかし、孫さんは極めて勘のいい人だし、瓢箪から駒が出ることもあるから、強く反対するだけの自信が私にはなかった。私は若い時から上に迎合するのは大嫌いだったが、孫さんの場合は、不思議に、「ここで反対しないのは卑怯だ」と思うことが少なかった。
実は、今のこの時点で、「それでは、少なくとも、最低限、やるべき事だけはやってきたか?」と自問してみると、率直に言って、「少し不甲斐なかったのではないか」と思うところはある。例えば、ボーダフォンから受け継いだネットワークの弱さは目を覆うばかりだったから、「通信事業者の生命線であるネットワーク施設の充実にもっと金を使うべきだ」と、面を冒してまで進言しなかった事を責められれば、それについては一言もない。(尤も、会社は目一杯の借金を背負って発足したのだから、「グループの財務戦略の根幹を完全には理解していない自分が出しゃばって言えることではない」と思い、遠慮せざるを得なかったのも事実ではあったが。)
しかし、その時点でも、「まさかこんな仕事で高い給料を貰っているわけには行かない」ということだけは、私は少なくともきちんと認識していた。そして、認識したら必ず行動に移すのが私の信条だ。
そこで、私は孫さんと掛け合って、「給料の減額交渉」をした。私からは男らしく五十%減を提示したが、受け入れられなかったので、その半分程度の減額で手を打った。「給料の減額交渉」等というものは恐らく前代未聞だろうから、その事が少し楽しくもあったが、それ以上に、それと引きかえに手に入る「自由」の方が貴重だと私は思っていた。