会社の通常業務外での試み(2009年 - 2011年)
このように、本来の仕事であった筈の技術関係では、私は心の中に悩みを抱えるだけで、実際には何も出来ずに手をこまねいているだけの存在に成り下がっていたが、ソフトバンクの中には、私でも若干は役に立ちそうな「渉外関係」や「海外関係」の仕事もあった。特に、世界規模の携帯通信事業者の業界団体として急拡大を遂げつつあったGSMAでは、孫社長の身代わりとして私をボードメンバーにしてくれたので、ここではそれなりに活躍の場もあった。少なくとも、私が参加する前は殆ど発言する事もなかったアジアの事業者が、活発に議論をリードする様になったのは、私がもたらす事の出来た一つの進展であった様に思う。
しかし、この様な仕事は、時にはたて込むこともあったが、基本的にはそんなに忙しいものではない。私はお金と時間を無駄にするのが嫌いなので、海外出張のスケジュール等はいつも相当ハードだが、この程度の事は昔に比べれば物の数ではなかった。だから、この間、「ご褒美で貰った」とも言えるこの相当に自由な時間を、私は自分でも気が引ける位気儘に使わせて貰った。対外的な言論活動もその一つだ。
ソフトバンクに入社するに当たっての私の期待の一つは、それまで自分の弱点として意識していた「インターネットビジネスへのより深い関与」だったが、その中でも「ネットメディアの成熟」が特に私の関心事だった。伊藤忠時代から情報通信関係のスポークスマンのような役割を担っていた私は、新聞やテレビといった既存メディアについてはよく分かっていたが、ネットメディアのあり方については、感覚的に全く理解出来ていなかった。
理解するには自分でやるのが一番だ。その観点から私はブログを書き出した。それも日記風の気楽なブログを書くのではなく、一週間に一度位の頻度でネット上に小論文を掲載し、場合によればそれをベースに「論戦」をする可能性も追求したいと考えていた。その後、硬派のブロガーとして人気のある経済学者の池田信夫さんの呼びかけに応じて、2009年の1月から、日本初のマルチブロガーサイトである「アゴラ」の立ち上げに協力することになった。「アゴラ」の記事を書くに当たっては、会社に直接マイナスになるような事は流石に言えないが、「会社の立場をいつも代弁していなければならない」とは考えず、出来る限り「国」とか「ユーザー」の視点から語ろうと心掛けた。
2010年の1月からは、孫さんの薦めに応じて、半信半疑でTwitterをはじめた。有名人である上に、お客商売であるソフトバンクの経営に全責任を負う孫さんが実名でTwitterをやる事には大きなリスクがあるが、それを敢えて始めた孫さんは矢張り只者ではない。
「超多忙の孫さんでさえやるのなら、時間の余裕もある自分はもっと真面目にやって然るべき」と思って始めた事だったが、やってみるとクセになる。ぶつ切りの短い時間を使えるTwitterは、一日十本ぐらい発信しても殆ど負担にならない。今となっては、むしろ生活のリズムになり、気晴らしにもなっている。ユーザーからの容赦ない批判の声が聞けるのは、仕事の上でも大変役に立つ事が分かった。
「70歳で引退」というこれまでの計画を、2009年の11月に70歳の誕生日を迎えた時点で、一年だけ延ばしたが、その最大の理由は、「2010年中にNTTの構造問題にいよいよメスが入れられる」事になっていたからだ。そして、この問題は、孫さんが民主党政権に売り込んだ「光の道構想」と、期せずして一体不可分のものになった。こうなると、私もその事で少しは忙しくなるのが当然だった。
通信ネットワークについては、物理的な伝送路のところだけは全体のシステムから切り離し、「国家インフラ」という考えを導入するべきだと私はいつも考えてきた。そうしてこそ、徹底的に無駄を排した「計画的な建設」ができる。更に全国の津々浦々まで既に行き渡っているメタル回線を光ケーブルに一気に変えるという大胆な手法をとれば、NTTとしても「メタルと光を並行して保守しなければならない」という負担から解放される事になり、膨大なコスト削減が可能になると考えられた。
どんな分野でも競争原理を働かせればうまく行くと思っている人達は結構いるが、これは現実を知らない人だ。通信事業というものは、元々は国家が独占的にやっていたものなのだから、自由競争が可能なところでは、旧独占事業体に非対称規制を課してでも公正競争を実現すべきだし、競争が無理なところでは、その逆にむしろ意図的に独占体制を維持して、その代わり透明性を徹底すべきだ。そうしなければ、物理的な伝送路というボトルネック施設を現実に寡占しているNTTのみが雪だるま式に栄え、実質的な競争が死に絶える危険性もある。
国のネットワークのグランドデザインは、「現在の電話回線を全て一気に光回線に敷き直す事を基本にして、その上に多種多様な無線網を配備する」という骨太のものでなければならない。間違っても中途半端なものを作ってはならない。そして、その上で動く通信システムが「コントロールされたIP網(NGN)」であるべきは当然の事だ。「放送」も「広義の通信」のエコシステムの一部とみなされるべきで、「ユーザーの為に何が良いか」という観点のみからその分担範囲が決められるべきだ。その為にも、NTTやその他の通信事業者、更にはNHKや民放各局、CATV事業者等が、「お互いの既得権を認め合って遠慮しあう」というような事態は、決して許してはならない。
大体こういう事が、当時私が考えていた事であり、ソフトバンクが提唱した「光の道」構想もそういう考えをベースにしているという点では同じだった。私はNTTの人達には何の恨みもなかったし、私の知っている個々の人達の能力と真面目さには、常日頃から敬愛措く能わざるものを感じていたが、常に「組織防衛」を第一義に考えているかのようなNTTの姿勢には、私は全く納得できていなかったし、将来の日本のICTの全てをそのようなNTTの手に委ねてしまうのでは、心安らかでいられるわけもない。そういう訳で、「光の道」論争が騒がしくなってくると、私の心の中でも、ずっと以前から蟠っていたNTTとの対決意識が次第に蘇ってきた。
しかし、結論から言うと、「光の道」構想は、プロフェッショナルな議論の場が設けられる前に、結論を出さねばならぬ期限が到来し、従って「実質的には殆ど意味のない結論」でその幕を閉じた。要するに「大山鳴動して鼠一匹も出ず」だった。進め方が短兵急に過ぎた上に、「民主党幹部の政治力」だけに頼るかの様なアプローチでは、所詮は無理だったのだと言わざるを得ない。NTTの持つ巨大な政治力は、そんな単純で粗雑なやり方ではとても突き崩せるものではない。
かくして、「NTT自身の考えやケーブルTV業界の考え等も公の議論の場に出して貰って、何が真に日本の将来の為になるかを皆で真摯に議論する」という「私が長い間描いていた理想の姿」は、結局は「夢の又夢」で終わってしまった。途中からは私自身も殆ど諦めの心境になっていたが、それでも、こうして終わってみると、不完全燃焼による心の傷は相当深く残った。