懲りもせず、また徒手空拳の仕事に挑戦(2013年— )

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懲りもせず、また徒手空拳の仕事に挑戦(2013年— )

 

さて、「生涯、国の為に無償で働く」という誓いがもろくも崩れつつあった同じ頃に、私の回りでは異なった大きな動きも進んでいた。それはソフトバンクの海外戦略に関連する事だった。

 

ソフトバンクは元々日本に留まっている気などはさらさらない会社だ。日本で慣れない通信事業分野に進出し、格段の経験の蓄積と顧客ベースを誇るドコモやKDDIに挑戦するというのだから、少なくとも最初の5年間程度は日本市場での競争に専念せねばならないのは当然だが、市場シェアが確実に増えて20%を越え、なおも上位との格差を着々と縮めていく目処がたった時点では、海外に事業を拡大するのがこれまた当然の事だった。

 

大きな勝負手を一気に打つのが身上で、細かい布石の積み上げにはあまり興味がない孫さんとは異なり、私は「人があまり興味を示さない時に、分からないところで秘かに布石を打っておく」という様な仕事が好きだ。これは性格なのでどうにもならない。

 

この時点で私が眼を付けたのは、巨人Intelが技術開発と市場開発に躓き、Intelを信じてWiMAXという無線通信の新技術に大きな投資をしてきた人達を後に残して、早々と退場してしまった空白地帯である。実はQualcommで経験を積んできていた私自身は、当初からWiMAXの技術的な問題点はある程度分かっていた積りだったので、これが挫折した時には正直に言ってむしろホッとしたような気持の方が強かったのだが、「WiMAXの挫折で宙に浮いた膨大な量の周波数をどうするのか」という現実的な問題を考えると、じっとしていられなくなった。

 

「何時でも何処でも電話ができるし、何処にいようともかかってくる電話を逃す事はない」という「只一つの超強力なキラーアプリケーション」のお陰で、「携帯通信というシステム(かつては自動車電話と呼ばれた)」はあっという間に世界中で膨大な市場を作り出したのだが、この頃になると「電話」や「ショート・メッセージ」の市場は既に世界中で飽和状態になりつつあり、これに代わって「何時でも何処でもあらゆる種類のインターネットサービスにアクセス出来る」という事に対する人々の欲求が、徐々に顕在化しつつあった。これこそ「パラダイムシフト」だった。

 

しかし、携帯インターネットとなると、これに必要とされる周波数の量は電話とは比較にならない。それだけの周波数を持てるかどうかが、これからの競争では成否を決める鍵になるのではないかと、私は考えていた。そうなると、これまでに世界中でWiMAXを対象に与えられた周波数免許の事を考えない訳には行かない。Intelから見捨てられた世界中のWiMAX事業者は茫然自失して将来を見通せない状態だったが、時あたかも既存の携帯電話技術の延長線上で開発されていたLTEという新技術を使えば、WiMAXと全く同じ周波数をもっと効率的に使える事が分かっていたから、私はそこに目を付けた。未使用のまま放置された周波数は遠からず国に取り上げられる。その前に手を打つ必要がある。急がねばならない。

 

しかし、周波数があるだけでは勿論事業にはならない。既に隆盛を誇っている既存の大手携帯電話事業者の一角に食い込むには、これまでになかったビジネスモデルを考え出し、強力なマーケティング戦略で新しい需要を引き出さなければならない。それはそんなに容易な仕事ではないが、それ故に私は久しぶりに闘志を燃やした。

 

たまたま接触のあったインドネシアのWiMAX事業者が、「事業の継続か断念か」の瀬戸際に立っていた事が分かったので、私はその事業を持つインドネシア有数のLippoグループの総帥と会い、孫さんに引き合わせた。二人は意気投合し、共同で新しい事業を進める事になったので、私は新しいビジネスモデル作成の鍵となる技術をあれこれと模索した。しかし、その時に米国第三位の携帯通信事業者であるSprintを買収しないかという話が突然ソフトバンクに持ち込まれ、孫さんは電光石火「米国への本格進出」を決めた。

 

こうなると、もうアジア諸国で小ぶりの通信事業にかまけているわけにはいかない。結局ソフトバンクの通信事業部門は、当面は脇目も振らず米国での事業推進に全ての経営資源を集中する事になった。インドネシアでの事業については、孫さんが先方に対して「この事業は成功すると信じているが、諸般の事情からソフトバンクとしての投資は出来ないので了承してほしい。後は松本と相談して欲しい」と伝えて仁義を切った事もあり、私は自ら願い出て、個人の資格で、引き続きこの事業の成功を見極める道を選んだ。

 

Sprint買収の話は突然持ち込まれたものだったが、私も意見を聞かれたので、即座に諸手を上げて賛成した。この会社の過去を私はかなり良く知っており、その数年前までは「最も近づいてはいけない会社」と位置づけていたが、この頃になると、やっと正しいネットワーク戦略に焦点が定まって来ていたようだったし、「今ならやりようによってはVerizonとAT&Tという二大巨人に肉薄することも可能ではないか」と考えるに至っていたからだ。

 

一旦方針が決まると、その方向へと会社全体が脇目もふらずに走りだすのがソフトバンクの文化だ。この頃には既に通信事業者の経営幹部として恥ずかしくないレベルに育ってきていた若い人達は、孫さんの強い意向で、日本と米国の両市場を一体として考える事を求められていた。私自身としても、米国市場を攻める戦略については若干の思いもないではなかったが、こういう状況下では、過去の人間が会社の本流のところで中途半端に口を出すのは憚られたから、出しゃばるのはやめた。

 

何れにせよ、私はソフトバンクモバイルの副社長はとっくに辞めていたし、その一年後には取締役も辞めていた。しばらくは、特別顧問というタイトルの役員待遇で、執務室や秘書も使わせてもらっていたが、中途半端な立場で会社の中をウロウロしているのは良くないという思いもあり、伊藤忠をやめた時に創った自分自身の会社である「ジャパン・リンク」を15年ぶりに復活させ、2014年の4月からは、オフィスも新しく構えた。ソフトバンクでの特別顧問というタイトルは変わらないものの、契約形態は雇用契約ではなく業務委託契約になった。前述のインドネシアの会社との個人契約も、ジャパン・リンク経由に切り替えた。

 

「ジャパン・リンク」は一応何でも出来る会社にはしてあるが、さすがにこの歳になると、コンサルタント的な仕事以上の事はできないと思っている。「若い人達と語らって、インターネットがらみで新しいサービス事業を起こす」等という事にも、今なお魅力を感じないわけではないが、途中で病気になったり、死んだりしたら、一緒にやってくれていた人達に大変な迷惑をかけることになるので、これだけはやってはならないと自戒している。

 

コンサルタント契約は、大小取り混ぜ、既に合計9件にまでなったが、対象としては、長年やってきた携帯通信分野に焦点を絞っている。「前途の見通しに不安を持っているWiMAX事業者に、新しいビジネスモデルを推奨し、一緒にこれを立ち上げていく」のが最大の目標だが、大きな既存の通信事業者に対して「盲点になっている部分を埋める」アドバイスをする事にも意欲を持っている。対象は勿論全世界だ。日本とアメリカを除けば、ソフトバンクと競合する可能性ある会社は少ないので、どんな会社ともオープンに話している。

 

インドネシアの会社について、ソフトバンクが抜けた為に生じた投資額の穴を、私が考え出した「新しいビジネスモデル」を理解してくれた三井物産が埋めてくれた事もあり、ジャパン・リンクは三井物産とも契約を結んだ。久しぶりに世界の各地に拠点を持つ大商社と一緒に仕事をしてみると、やはり快適だ。伊藤忠を裏切ったというような気持ちは全くない。伊藤忠は昔も今も通信分野ではNTTとの関係を中核においているので、今となっては私とは何れにせよ接点に乏しい。この歳になってまさか伊藤忠と競合する三井物産の仕事をする事になるとは夢にも思わなかったが、これも長く生きていることの面白さの一つだと感じている。

 

こういう仕事を始めてしまったので、毎月の半分以上が海外だ。やはり東南アジアが一番多いが、サンパウロで仕事があれば、デュバイ経由にしてパキスタンと南アフリカに立ち寄るか、それとも米国経由にしてワシントンとサンディエゴ、サンフランシスコに立ち寄るか、最後まで迷う。テヘランに行った時には、旅費と時間がもったいないので、帰りにダッカ、シンガポール、ジャカルタでの仕事を入れた。一回の出張で五泊もしたのに、ホテルで寝られたのは二回だけ(あとは全て機中泊)というような強行軍もあった。

 

いい歳をして何故そこまで働くのかといえば、やはり仕事が好きだからなのだろうが、一種の使命感のようなものもないではない。特に携帯通信業界に関連しては、「自分以外には世界で誰もやらないだろう」と思われる仕事もあり、そういう仕事については、何とかして結果を出し、それを死ぬ前に自分の目で直接見たいという気持ちが抑えきれない。

 

それから、他のもう一つの理由もある。前述のように、私は、東北大震災の後に、「孫さんのように100億円は寄付できないが、自分の身体で払えるものは払おう」と思ったことがある。一生をかけて「半導体」と「産学連携」の為に無償で働こうとした決意は脆くも挫折したが、「少なくともあと5年は若者のように全力で働く」と公言した事は変えられない。

 

そもそも「日本の当面の高齢化問題は、高齢者がもっと働く事で当面は忽ち解決する」と私は常日頃から論じており(高齢者デノミ論)、「それなら、まず自分からそうするのが筋だ」と思っている。出稼ぎ労働者よろしく自分が外国の顧客から稼いでくる「ささやかな外貨」などは勿論物の数にはならないが、10万人ぐらいの高齢者が同じ事をすれば、日本経済も少しは良くなるだろうと本気で思っている。

*REVOLVER dino network 投稿 | 編集